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空飛ぶ哺乳類 最古の化石見つかる 中国・内モンゴルで 新しく化石が見つかった空飛ぶ哺乳類の想像図=ネイチャー提供

 グライダーのように空を飛ぶ最古の哺乳類(ほにゅうるい)の化石が、中国・内モンゴル自治区の1億2500万年以上前の地層から見つかった。空飛ぶ哺乳類の歴史が7000万年以上さかのぼることになり、哺乳類は、鳥類とほぼ同じ時期に空を飛び始めたことを意味するという。米国自然史博物館と中国科学院古脊椎(せきつい)動物・古人類研究所の研究グループが14日発行の英科学誌ネイチャーに発表する。

 見つかったのは全長12〜14センチ、体重約70グラムと推定される小型哺乳類の化石。長い手足のほかモモンガやコウモリが持つ空を飛ぶための皮(飛膜)を持っており、「古代の空飛ぶ獣」という意味のボラティコテリウム・アンティクウスと名付けられた。ジュラ紀中期から白亜紀前期(1億7500万年前〜1億2500万年前)の中生代に生きていたとみられる。

 空を飛ぶ最古の哺乳類はこれまで、5100万年前と推定される地層から見つかったコウモリの仲間と考えられていた。

asahi.com 2006年12月14日06時03分


西近津遺跡群 国内最大級の竪穴住居跡発見 長野・佐久 大型の竪穴住居跡が見つかった西近津遺跡群の発掘現場=長野県佐久市長土呂で11日、藤澤正和写す

 長野県埋蔵文化財センター(長野市)は11日、同県佐久市長土呂の西近津(にしちかつ)遺跡群で、弥生時代としては国内最大級の竪穴住居跡が見つかったと発表した。2世紀ごろに造られたとみられ、政治や祭祀に使われていたらしい。

 この住居跡は縦18メートル、横9.5メートルの長方形。これまでに同遺跡群で見つかっている一般的な住居跡の約3倍の大きさで、竪穴の内側で5本の柱の穴と三つの炉の跡が確認された。周辺からは土器片やガラス玉なども出土している。

 発掘調査は、静岡市と佐久市を結ぶ中部横断自動車道の建設に伴い、今年6月に開始。11月中旬に今回の住居跡が出土した。同センターの市澤英利・調査部長によれば、竪穴住居が建造された古代から中世までを通じて大きな住居跡で、「弥生時代に限れば国内最大級」という。

 東北芸術工科大大学院の宮本長二郎教授(考古建築学)は「建物の大きさや柱の跡から言って、政治や祭祀に用いられる建物だったと考えられる。この地方における拠点だったことは確実で、弥生時代の生活を知る上で大きな手掛かりになる」と話している。【川崎桂吾】

12月12日10時25分配信 毎日新聞


1億5000万年前のジュラ紀の木の化石を発見―重慶市 石切り場に埋もれていた、長さ13mもある中生代の木が発見された。気の遠くなるような長い年月が経ったため、すべて石と化している。

2006年12月10日、重慶(じゅうけい)市の大安(ダーアン)村にある採石工場で、作業員が長さ13m、直径約1mのマツの木の化石を発見した。地元の考古学専門家が分析を行った結果、このマツの木の化石は恐竜が繁栄していた中生代ジュラ紀のもので、今から約1億3000万年〜1億5000万年も昔にここに生えていたそうだ。

現在地方政府は専門家を派遣し、発掘作業が行われている。政府担当者の話によると、将来この化石を市内の広場に展示して市民に公開し、古里の昔の姿を想像する助けにしてもらいたいとのこと。

(Record China) - 12月11日19時14分更新


本州最南端の古墳? 西の岡で調査(和歌山)【西の岡で進められている古墳の調査(7日、串本町串本で)】

 串本町の串本小学校を囲む丘陵「西の岡」(標高52メートル)に古墳がある可能性が高いことから、県教委文化遺産課は、確認の調査を進めている。丘陵は県の急傾斜地崩壊対策事業で切り下げる計画があるためで、古墳が確認されれば今後の対応を検討する。

 同課によると、西の岡では町内の男性が所有している勾玉(まがたま)が、1898年に出土したとされている。紀南文化財研究会が1950年代に行った現地調査で川原石も確認されていることから、古墳がある可能性が高く、県の埋蔵文化財包蔵地所在地区に登録されている。

 調査は4日から始まった。職員ら4人が丘陵の南側の平地約400平方メートルで深さ10〜20センチの溝を数カ所掘って、遺構や遺物などを確認作業をしている。

 調査は13日までの予定。遺構などが見つかれば、本州最南端の古墳として注目される。同課は発掘調査に着手するとともに、急傾斜地崩壊対策事業については県串本建設部などと協議し、計画の見直しも含めて今後の対応を決める。

 確認されなかった場合、後世に伝えられるよう調査結果を記録する。

 勾玉はコンマ形に湾曲した弥生や古墳時代の装飾用の玉で、丸い部分の貫通孔にひもを通して首飾りにした。町内の男性が所有するものは、碧玉製の可能性が高く、長さは4センチ。

 急傾斜地崩壊対策事業は防災対策の一環。2009年度の完了を目指し、来春に進入路の工事を始める。切り下げによってできる平地は地震発生時の避難地として利用する計画で、串本小学校の移転や給食センターの建設の候補地にもなっている。

(紀伊民報) - 12月8日17時2分更新


OSK200612010086.jpg 岩橋千塚古墳群から出土した、前後に顔がある人物埴輪。後方は鏡に映ったもう一つの顔=1日午後、和歌山県庁で

 和歌山県教委は1日、和歌山市岩橋の特別史跡「岩橋(いわせ)千塚古墳群」の大日山35号墳(6世紀前半、前方後円墳)から、一つの頭の前後に顔が二つある人物埴輪(はにわ)が見つかったと発表した。顔が二つある埴輪の出土は全国初。同じ古墳から翼を広げた鳥形埴輪が出土しており、同県教委は「人物や鳥などの埴輪を並べ、儀礼が行われていたのではないか」とみている。

 05年度の発掘作業で、素焼きの破片を多数発見し、うち十数点をはり合わせて復元した。頭部のみで、首を含めた高さは約19センチ。顔立ちはともに鼻が高く、一方は目尻が上がり険しい表情。上唇の中央で縦に切り込みがある。もう一方は目尻が下がり、口をわずかに開けて穏やかな表情をしている。いずれの顔にも、ほおと額に葉や矢印などの形の入れ墨らしい線が彫られ、下げ美豆良(みずら)という、おさげのように両耳へ垂らす男性の髪形をしている。

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の千賀久主幹は「極めて特異な埴輪だ。近畿の中心だった大阪や奈良から離れた和歌山の埴輪の制作者が独自の表現をしたのではないか」と話す。

 岩橋千塚古墳群には約700基の古墳があり、大日山35号墳は有力豪族・紀氏の首長の墓とみられている。24日まで同市岩橋の県立紀伊風土記の丘で展示される(月曜休館)。

asahi.com 2006年12月02日15時18分


honbun20061202_001_000.jpg 文化センター高取に展示中のガラス玉

 日本最古のガラス玉か、現代のビー玉か‐。福岡市早良区の発掘調査現場で見つかった日本最古(弥生時代中期)の可能性のあるガラス玉が、同区の文化センター高取で開催中の「唐津街道の歴史展」で展示されている。同市教育委員会は一時は「日本最古」の記者発表の準備までしたものの、他に出土例がないため、方針を転換。「同じようなガラス玉の出土を待ちたい」と“大発見”の確定に慎重な構えだ。 (福岡西支局・四宮淳平)

 市教委によると、調査は早良区高取のマンション建設に先立って行われた「西新町遺跡の第16次発掘調査」(2003年5月−8月)。ガラス玉は、弥生時代中期(紀元前一世紀ごろ)の竪穴住居跡から出土したかめの内側から発見された。

 ガラス玉の大きさは直径1.75センチで紺青(こんじょう)と白の2色から成る。溶けたガラスを棒状工具に巻き付けた後、芯(しん)棒を抜き取って再加熱し、穴を閉じて作ったとみられる。

 穴のある古代のガラス玉(トンボ玉)は同市内でも約1800個以上発見されているが、穴がない玉は珍しく、弥生時代中期以前のものは全国でも出土例がないという。同じ現場からは滑石で作られた漁の道具やそれらの未完成品、研磨に使った砥石(といし)なども掘り出されており、「一帯は博多湾岸で漁労を中心に生活をしていた人々の集落」(市教委)とされる。


im20061202SSXKF10190112200613.jpg 松山城天守閣の改修工事で見つかった、武士の正面からの似顔絵〔共同〕

 松山城天守閣(松山市、重要文化財)の約40年に1度の改修工事で、はがした壁板の裏に描かれた武士の似顔絵が見つかった。松山城総合事務所は、江戸時代後期の再建工事で職人が落書きしたとみている。

 壁板は長さ約2メートルで幅18センチ。黒い墨で武士の絵が2カ所に描かれていた。一つは真正面からの絵で、目をつり上げ、口をへの字に結んだ厳しい表情。裃の線がうっすらと見える。

 もう一つは、真上から見下ろしたようなちょんまげ頭の絵で、紋付きを羽織っている。服装などから工事の現場監督をしていた「作事奉行」とみられる。同事務所は家紋を分析し、誰の似顔絵なのか推定したいという。

 同事務所の森正経学芸員は「工事を厳しく監督する奉行の似顔絵を描いて、クスクス笑っていたのでは」と想像。平和な時代の穏やかな武士と職人の関係を浮かび上がらせる貴重な発見としている。

 松山城は1602年から加藤嘉明が築城。天守閣は1779年に落雷で焼失したため、1820―54年に再建された。

 天守閣の改修工事は11月末に終了。落書きの壁板は3日の落成式の後、小天守1階のギャラリーで一般公開される。〔共同〕

NIKKEI NET 2006/12/02 (13:32)


20061201-04870387-jijp-soci-view-001.jpg 極彩色の壁画を保存するための石室解体に向け、墳丘の発掘が進められている高松塚古墳。「墳丘の高まりが見られるのは最後になる」(発掘担当者)という(1日、奈良県明日香村の発掘現場)(時事通信社)15時37分更新

 国宝壁画保存のため来年3月に石室が解体される高松塚古墳(奈良県明日香村)で1日、村民らを対象にした現地見学会が始まった。墳丘は、発掘調査によって今月中に大半が失われることから、古墳らしいこんもりとした姿を見ることができる最後の機会とあって、壁画発見以来30余年にわたり古墳に愛着を持ち続けてきた村民らが名残を惜しんでいた。

 見学会には午前中から大勢の村民らが訪問。34年前の壁画発見時の発掘に参加した同村の農業、上田俊和さん(66)は「墳丘の地層を見ていたら発掘当初のことを思いだした。墳丘が消滅することは悲しいが、壁画保存のためなら仕方がない」と話していた。公開は2日も行われる。

(産経新聞) - 12月1日16時45分更新


20061130-00000019-kyt-l25-thum-000.jpg 宗教施設とみられる石組み遺構(滋賀県西浅井町・塩津港遺跡)

 滋賀県西浅井町塩津浜の塩津港遺跡で、航行の安全を祈願するなどした宗教施設と見られる、平安時代後期(11世紀)から鎌倉時代前期(13世紀)にかけての石組み遺構が見つかった、と県文化財保護協会が29日、発表した。「不明なところが多かった塩津港の実態を知る上で重要な発見」としている。

 塩津港は、北陸地方の物資を畿内に運ぶ物流の拠点として古代から明治期まで長きにわたり栄えてきた。その繁栄ぶりは、「延喜式(えんぎしき)」(967年施行)をはじめ多くの文献に登場していることからもうかがえる。

 遺構は、建物の基礎部分と考えられる石積み基壇(南北約2・6メートル、東西約1・9メートル)と、基壇を囲うように残っていた石塁(南北約7・1メートル、東西約7・6メートル)から成り、石累の周りでは礎石跡(南北約12メートル、東西約8・4メートル)も見つかった。


20061130-04867205-jijp-int-view-001.jpg ギリシャのアンティキテラ島沖に沈んだ難破船から発見された、紀元前2世紀の「アンティキテラの機械」の復元想像図。青銅製の歯車が複雑に組み合わされた精巧な手動暦計算機だったとみられる(英ネイチャー誌提供)(時事通信社)11時03分更新

 ギリシャのアンティキテラ島沖の海底に沈んだ難破船から、1901年にばらばらの状態で発見された紀元前150−100年の謎の青銅製機械は、日食や月食のほか、惑星の動きまで分かる精巧な手動暦計算機である可能性が高まった。アテネ考古学博物館や英カーディフ大などの研究チームが破片をX線で分析し、コンピューターグラフィックスで再現した成果を30日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

(時事通信) - 11月30日11時2分更新



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