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20061106-00000013-maip-peo-view-000.jpg 内山田洋さん

 内山田洋さん70歳(うちやまだ・ひろし<本名・道生=みちお>歌手)3日、肺がんのため横浜市内の病院で死去。葬儀は親族のみで済ませた。自宅は非公表。

 福岡県出身。68年、前川清さんらと「内山田洋とクールファイブ」を結成。デビュー曲の「長崎は今日も雨だった」(69年)が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を受賞。他のヒット作に「噂の女」「そして神戸」「東京砂漠」など。

(毎日新聞) - 11月6日9時50分更新


 【パリ=島崎雅夫】「恋はみずいろ」「エーゲ海の真珠」などのヒット曲で知られるフランスの指揮者で作曲家ポール・モーリアさんが3日、仏南部のペルピニャンで死去した。

 81歳だった。死因は不明。4日、関係者が明らかにした。

 仏南部マルセイユに生まれ、パリで育った。イージー・リスニングの元祖となったグランド・オーケストラを率いる一方、シャルル・アズナブールらの歌手のために数多くの曲を編曲した。特に、日本で人気が高く、日本でのコンサート回数は1200回に及んだ。

         ◇

 モーリアさんは、自らの名前を冠したグランド・オーケストラを率い、1969年以来、毎年のように来日コンサートを開いた。池田満寿夫監督の映画「窓からローマが見える」の音楽を担当、シンガー・ソングライターの来生たかおさんと共演するなど、日本と縁の深い音楽家でもあった。

 「日本は第二の故郷」と語り、95年には阪神大震災の被災者支援にと、四重奏によるチャリティー・アルバムも制作している。

(2006年11月4日23時54分 読売新聞)


 漢字研究の第一人者で文化勲章受章者の白川静(しらかわ・しずか)氏が10月30日、多臓器不全で死去した。96歳だった。告別式は1日、近親者で済ませた。後日「お別れの会」が開かれる。

 福井市出身。洋服商の二男に生まれ、小学校卒業後、大阪の法律事務所で住み込みで働きながら夜学に通い、19歳で中学を卒業、立命館大専門部(夜間)文学科で勉学を続けた。その後中学教員をしながら同大法文学部に入学。同大教授となったのは1954年。

 一貫して漢字研究に打ち込み、中国最古の文字である甲骨文字をはじめ漢字文化圏の古典を丹念に読み解いて独自の文明論を展開、通説への批判精神に満ちた「白川文字学」を樹立した。

 76年に同大を定年退職後は特別任用教授として教育研究に従事。70歳で完全に退いたが、その後、13年の歳月をかけて計4000ページを超える前人未到の字書「字統」「字訓」「字通」の3部作を独力で完成させた。

 漢字の形や意味の変遷を系統的にまとめた「字統」が84年、漢字の訓読みが日本で定着する経緯をたどった「字訓」は87年の刊。96年、集大成である漢和辞典「字通」が完成した。孤高の碩学(せきがく)としての科学的で地道な研究成果が一般にも知られるようになり、91年に菊池寛賞を受賞、98年に文化功労者となり2004年、文化勲章を受章した。1981年から立命館大名誉教授。

(2006年11月1日23時46分 読売新聞)


20061026-00000016-maip-peo-view-000.jpg 小島信夫さん

 「抱擁家族」「別れる理由」など、戦後の日本文学を代表する長編小説で知られる作家で文化功労賞の小島信夫(こじま・のぶお)さんが、26日午前3時58分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。91歳。

 家族で密葬を行い、お別れの会を後日開く。喪主は長女、井筒かの子さん。自宅は東京都国分寺市光町1の6の11。

 今年5月末に長編「残光」を刊行するなど、最近まで執筆活動を続けていたが、6月19日に脳こうそくで自宅で倒れた。

 岐阜県生まれ。旧制第一高等学校を経て東大英文科を卒業。第2次大戦中は暗号兵として中国に配属された。51年、明治大学講師に就任したころから本格的に創作を始め、短編「小銃」でデビュー。55年「アメリカン・スクール」で庄野潤三氏と共に芥川賞を受賞した。

 安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作氏らと共に「第三の新人」の長兄的存在として、抽象表現を帯びた前衛的な作風に独特の持ち味があった。高度成長期の中流家庭の崩壊を描いた「抱擁家族」は、江藤淳氏らの絶賛を浴び、65年に第1回谷崎潤一郎賞を受賞した。

 文芸誌「群像」に12年半連載した大長編「別れる理由」では、作家の実生活と小説の虚構の仕切りを取り払う大胆な試みを展開。現代小説の形式を広げたとして82年、野間文芸賞を受賞。98年には「抱擁家族」一家の30年後を描いた本紙連載小説「うるわしき日々」で読売文学賞を受賞。「私の作家評伝」(芸術選奨文部大臣賞)などの評論も多い。

(2006年10月26日22時17分 読売新聞)


20061023-00000008-maip-peo-view-000.jpg ばってん荒川さん

 ばってん荒川さん69歳(ばってん・あらかわ<本名・米崎一馬=よねざき・かずま>俳優、肥後にわか芸人)22日、ぼうこうがんのため死去。葬儀は24日正午、熊本市琴平2の1の40の玉泉院南熊本本館。自宅は同市新町3の4の26。喪主は妻美都江(みつえ)さん。

 1937年熊本市生まれ。18歳の時に即興喜劇の肥後にわか劇団「ばってん組」入り。19歳のころ熊本弁丸出しの「お米ばあさん」で人気になり、ラジオ、テレビタレントとしても活躍。東京や大阪進出後も、九州を拠点に活動を続けた。映画「トラック野郎」、ビデオ映画「静かなるドン」などに出演した。

(毎日新聞) - 10月23日10時14分更新


20061021-00000007-maip-peo-view-000.jpg 藤岡琢也さん

 人気ホームドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などテレビや映画の名脇役として活躍した俳優の藤岡琢也(ふじおか・たくや)さんが20日午後3時18分、慢性腎不全のため、東京都内の病院で亡くなった。76歳だった。葬儀は24日午後1時半、東京都港区芝公園4の7の35の増上寺。自宅は非公表。喪主は妻千鶴(ちづる)さん。

 兵庫県姫路市出身。関西学院大中退後、劇団「葦」入団。66年、NHK「事件記者」のちょびひげ記者役で人気者に。ドラマ「横堀川」「おやじのヒゲ」、映画「兵隊やくざ」シリーズ、「小説吉田学校」など多数に出演、脇役を中心にユーモラスで存在感のある演技を見せた。

 インスタントラーメン「サッポロ一番」のCMにも長年出演し親しまれた。橋田賞、菊田一夫演劇賞特別賞など受賞。

 90年にスタートした橋田壽賀子さん作「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)では、舞台となる岡倉家の父大吉役を演じていたが、今年2月、腎臓病の人工透析中に発熱。4月スタートの第8シリーズを降板した。

(毎日新聞) - 10月21日10時12分更新


 西洋史研究の重鎮で、愛知万博の総合プロデューサーなども歴任した東大名誉教授の木村尚三郎(きむら・しょうさぶろう)さんが17日、肝細胞がんのため東京都内の病院で亡くなった。76歳だった。

 告別式の日取りは未定。自宅は横浜市磯子区森6の25の20。

 東京都生まれ。東大文学部西洋史学科卒。中世フランスの荘園史が専門で、都立大、東大などで助教授、教授を務めた。1990年に東大を定年退官後は、国民生活審議会会長、国土緑化推進機構理事長、トヨタ財団理事長など幅広い分野で活躍。2000年から静岡文化芸術大学長。2010年の平城遷都1300年記念事業の総合プロデューサーにも就任した。

 農村の文化の豊かさに触れたフランス留学の体験から、農業の大切さを訴え続け、食料・農業・農村基本問題調査会会長として新農業基本法の制定に尽力。また、高校社会科からの世界史の独立を主張、必修科目とすることにも貢献した。

 比較文明論や文明史にかかわる問題にも積極的に発言し、「歴史の発見」「西欧文明の原像」「文化の風景」「ご隠居のすすめ」など著作多数。75年には「ヨーロッパとの対話」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したほか、90年に交通文化賞、96年に横浜文化賞、97年にはNHK放送文化賞。読売・吉野作造賞選考委員も務めていた。

(2006年10月18日3時6分 読売新聞)


20061011-00000013-maip-peo-view-000.jpg 「かば園長」の西山登志雄さん

 東武動物公園(埼玉県宮代町)開園時の園長で「かば園長」の愛称で親しまれた西山登志雄(にしやま・としお)さんが9日午後4時40分、肺炎のため埼玉県春日部市内の病院で亡くなった。77歳だった。葬儀は13日正午、同県宮代町川端4の535の1のレクイエム聖殿春日部。自宅は白岡町爪田ケ谷143の4。喪主は長男寿彦(としひこ)さん。

 1946年に上野動物園に採用され、カバやライオン、サイなどの飼育を担当した。81年の東武動物公園開園とともに園長に就任。親しみのある風ぼうとカバをこよなく愛したことから「かば園長」と呼ばれた。00年に名誉園長となり、05年に退任。86年5月〜92年5月、本紙夕刊でコラム「かば園長の動物教室」を連載した。

(毎日新聞) - 10月11日9時57分更新


 【ニューヨーク=大塚隆一】太平洋戦争時に日本が流した対米宣伝放送でアナウンサーを務め、米兵たちから「東京ローズ」の愛称で呼ばれたアイバ・戸栗(とぐり)・ダキノさんが脳卒中のため、米シカゴで26日死去した。90歳だった。

 日系2世として米カリフォルニア州に生まれた。開戦時に来日中で帰米が不可能になり、日本側が南太平洋戦線の米兵の戦意喪失を狙って流した英語のラジオ番組に出演した。

 戦後、戦犯容疑で巣鴨プリズンに一時収監。釈放後の1949年、米国で国家反逆罪で禁固刑を受け、6年間服役した。その後、判決を疑問視する声が高まり、77年、フォード大統領の恩赦で市民権を回復。晩年まで輸入品を扱う店の経営にかかわっていた。

 「東京ローズ」は複数いたとも言われている。

(2006年9月28日1時51分 読売新聞)


TKY200609250355.jpg 亡くなった丹波哲郎さん=01年11月、東京都内の自宅で

 映画「砂の器」やテレビドラマ「キイハンター」などで知られる俳優の丹波哲郎(たんば・てつろう、本名・正三郎=しょうざぶろう)さんが、24日午後11時27分、肺炎のため亡くなった。84歳だった。

 告別式は30日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。連絡先は杉並区西荻北4の6の2の丹波哲郎オフィス。喪主は長男で俳優の義隆(よしたか)氏。

 中央大学卒業後、新東宝に入社し、1952年にギャング映画「殺人容疑者」でデビュー。長身と彫りの深い顔で悪役として注目され、61年の今村昌平監督「豚と軍艦」のやくざ役で存在感を示した。

 その後も、篠田正浩監督「暗殺」、小林正樹監督「怪談」、佐藤純弥監督「組織暴力」など時代劇から現代劇まで幅広く活躍。中でも74年の野村芳太郎監督「砂の器」では、事件を解明していく人間味豊かな刑事役を好演した。最近では2000年の山田洋次監督「十五才・学校(4)」の老人役で演技派ぶりを発揮。豪快な中にもどこかとぼけた味のある演技が絶妙だった。

 また、大学在学中にGHQ(連合国軍総司令部)の通訳を務めたほどの語学力を生かして、「第七の暁」「007は二度死ぬ」など外国映画にも出演した。

 一方、テレビ草創期からドラマにも精力的に出演。時代劇の「三匹の侍」や、アクションシリーズの「キイハンター」「Gメン75」などで親しまれた。

 死後の世界にも興味を持ち、多くの著作があるほか、89年には映画「丹波哲郎の大霊界・死んだらどうなる」を製作、出演した。昨年2月に体調を崩して入院。同7月に都内で行われた「砂の器 デジタルリマスター版」の上映会に出席したが、すっかりやせた姿に観客からも体調を心配する声が上がっていた。

(2006年9月25日22時9分 読売新聞)



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